しかしそれは夕映えのような愛

九月。


静かな夏が終わって、静かな秋。
歌詞をみる。
知らなければ踊ることできないから。
知らなくても踊ることはできる。
でも


そうだねと言った。
どういう意味かしらと思う。
どういう意味でもいい。
ほんとうに?


言わないで笑っていることもできた。

何ひとつ夢が叶わなかった人。

それでね、いつもより数分早く職場を出られたおかげで受付時間内に着いてしまった私のあとにもうお一人お客さまがみえてしまって、先生はだから「あんた一回出て続きはあとでやろう」って後回しにしてくれたわけ。次の人が待っていない状態でゆっくり話していいよってしてくれたわけ。そんなことあるのっていうかそんなことあるの? あるの。

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わかったところで。

何であるのか詳細を明かすことはできませんが(では書くなという話ですが書ける範囲で書きたいと思うので書きますが)わたしの、この、猛烈な怒りのようなもの、は、いいとして(よくありませんが)、仕事中にせっせと返信封筒を二つ折りにしているときに気付いたことは、映画館で『グラン・トリノ』をみていたときにさかのぼるというかそのときのことに説明がつくことなのであって、『グラン・トリノ』はすごく大雑把にいって車の映画だと思いますが、映画館に着くまでわたしは飛行機の映画かと思っていて、それは『グラン・ブルー』、違う、それ海の映画、トム・クルーズまったく関係ない、あなたが言いたいのは『トップガン』ね、もはやぜんぜんまったく何の関係もありませんからね。トム・クルーズどこから出てきた。
そう、それで、『グラン・トリノ』をみているときにスターバックスコーヒーのコーヒーをかき混ぜるやつ、あれが三つに折れたわけですけれど、わたし、その訳がわかったんです。そのときもわかっていましたがもっと深いところでわかったんです。
つまりね、なぜコーヒーをかき混ぜるやつは折られなければいけなかったのか、わたしがそのことを大げさと思ったのは、ほとんどきょとんとしていたのは(感じ悪)、むしろ軽く苛立ちすら覚えたのはなぜなのか(そうなんだ)、それはね、そういうことなんですよ。わかった。わかりました。わたしわかりましたわ(回文)。なるほどねえ。


グラン・トリノ』の何が最高って、とにもかくにもエンドロールの歌。

秋が立つ。

よく眠れてよく目覚めた。朝顔に水をやろうと思って窓を開けたらふっと秋の気配。暦ってすごい。季節の移ろいは人を支えてくれますね。


いろんなものと距離を置いて三週間。ひとつひとつ確かめるように歩く日々。元気です。
0:18

夜、バスに乗る。

何か理由があって帰り、それが何であったのかわからなくなる。時刻表を調べる。一時間ほど時間があるみたい。
手持ち無沙汰。ここはもう、私の場所ではない、と、いうこともない。自分の持ちものを眺める。遠くをみるような気持ちで。
片付いている。じゅうぶんとは言えないまでも、それでも。きれいにしておくことできるんじゃない。できるんじゃない。少しだけ涙ぐみそうになり、やめる。こんなことでは泣かない。
常に移動しながら暮らすエスキモーは500しかものを持っていないそう。私はあまり移動しない。でもたまに動く。
20分以上前にバス停に着く。ひとつ先まで歩く。最終バス。道路と歩道のあいだの柵? そういえば最近、ガードレールをみない。柵に座って待つ。道路工事の人たちが時間を潰しているところを眺める。23時? 22時半? そのあたりから始めるのだ。いつもそうだった。いま22時。
あとになってみればなんとでも言える。現実という気がしなかった。長く居られる気がしなかった。それでもずいぶん引き延ばした。わたしはもうすぐ40歳になる(まだならない、まだとうぶんならない)。あと365日と150日くらいかな。


水路、道。わたしの新しい部屋へ。
2:05