何かのようなもの。

最初びっくりして、それからいろいろなところを通っていまいる場所について少し。

はじめてではないので何らかの真実がそこにあるのだろうなあと数日、いやでも事実ではないからなあと思ったりそれについて繰り返し考えたりしているうちに単純なことに気付いた。そうみえる角度があるんだ、私に。バレエの吉田都さんがインタビューで「私の脚にも真っ直ぐにみえる角度がある、それを意識して踊っている」と話されていたことがあって、そうだそれだと思った。立体的な形状をした存在なので、いろんなみえ方があるんだ。自分が日常的にみている姿というものは知らず知らず一方的になっているのですね。対象が自分でも(自分だから?)視野は狭くなり得るって気付いた。なり得るどころか日々強固に上書きしているのかもしれない。なるほどねえ。
本来それが悪いことだからびっくりするのじゃなくて(何が悪くて何が悪くないかなんてわからない)、でもびっくりしたのは私の中にもそういう価値観があるということなんだなあ。問題は事実じゃない、動機だよね。そして、動機持ってそうな容疑者って俺嫌いなんだよねって誰かが言ってた。という風に話がそれるのは私の悪い癖で(悪い癖?)、いかなる価値観も疑ってかかったほうがいいよなあ(いい?)とかなんとか、思う。
何かが何かだって言うのは簡単だけどむずかしい。ちょっと待て、それはほんとうに何かか? 何か型爆弾じゃないのか?って、冗談。
正義型爆弾。人の不幸を許せない型爆弾。いろんな爆弾がある。私の抱きしめた正義の宇宙型爆弾。もう一人の人はなんだったかな、虚ろなさよなら型爆弾。それってなんかちょっと、ずるい。
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