こことかこことかこことかで。

ジェットコースターに最後に乗ったのはいつのことだったか、思い出せないくらいむかしのことで、これから先はもうよほどのことがなければ乗らないだろう、覚えているのは坂を下りるときお腹のあたりが突然空洞になるみたいな、身体が半分なくなるような感じ、それは少し、何か取り返しがつかないようなこと? ショックを受けるというか、頭と心が何かを受け止めきれないような、そういうときに全身の感覚がすうっと薄くなるのに似ている。
それでもなお、やさしいとしか言いようがない。
涙が出ないので、あ、いまつらいのかなと思って、でも違うんだな。
野放図に強くなりたくないけれど、歳を取るごとにどんどん強くなる。自分が強いと感じることが増えて、それは夢とか願いとかが叶わないことを知っている強さ。可能性の扉がどんどん閉じていくところを目の当たりにしてきたことによる強さ。この頃よく思うこと。だから私はどんなことがあっても、若い人にはそれを知られないでいたいし、そんな風に強くなってしまった心で間違ってもかれらを、人を傷付けたり損なったりしてはならないし、かれらに対するおそれの気持ちを忘れないでいたい。若い人たちは、若いから。ほぼ永遠に、若いから。ひるがえって歳が上の人には、いや、ひるがえれない。ここに現状私の限界がある。
いまこの話がしたいのではなかった。なんの話がしたいのでもなかった。
4月2日には、30日なんて永久くらい先のことだと思ったがあっという間だった。「何かやってますかこういうの」と腕をはためかせるようにして訊かれたので「バレエをでも大人になってから」と答える。「そう思った、もしくは水泳」と言われて、それもやってましたと答える。「肩幅と姿勢でおわかりになりましたか?」と尋ねたら「そうですね」と。いまの生活では泳ぎにいく暇が無くて。
取り柄がなくても生きていていいのよとFさんは言った。目から鱗が落ちかけたが落ちなかった。
行いが身体をつくる。それは目にみえる。心のことはよくわからない。火曜日と水曜日と、二日も休んでしまった。ここから先、そういうのはなし。
ねえ、みざるきかざるいわざるみたいに孤独になりたい。ほんとうに。
23:30