縁がない。縁がなかった。

「そう思う、かわいそうだけれど」ともう一人の人がいつだったか。私もそう思う。かわいそうのほうじゃなくてそう思うのほう。そう思う。


昨年初夏、温泉っていいものだなと思った。別に高級なところじゃなくていい。ホテルにくっついているようなのでいい。私にはそれでじゅうぶん。
駅から川までのあいだにチャコットがある。そのことをなぜか強烈に覚えていて、それはどういうことかというと前に来たときに、チャコットがあるならバレエスタジオもあるだろう、つまり、この街に越して来ても私は踊りができるという風に考えたから。五年くらい前に。実際にはバレエスタジオなんてどこにでもある。鳩ケ谷駅前にだってある。でもね。
よく眠れた。寝る前に「○○にいるの?」って。そう、なぜわかったの。教えたり伝えたりしたからではなく私がどこにいるのか知っている人がいて(見張られているからでもない、もちろん)、単純にまったくの偶然でそうなって、それはとても変わった気持ちだった。そして少し心が温まった。軟弱ですね私も。
あまり歩かなかった。観光用循環バスの一日乗車券を買ったから。その選択がなんだかとてもうまくいって、成り行き任せでなく行動できた。どこへ行っても清涼な空気が流れているように感じた。たまにはこういうのもいいなって思った。神社をふたつお参りした。どんなときも知らず知らず同じことを願っている。何かが手に入りますようにとか、おいしいものが食べられますようにとかではないです。
立ち去るのはあっという間で、さびしいような気持ちもするけれど、明確にさびしいけれど、その気持ちには特に名前がない。これからもそのままで構わないのではないかと思う。それ以外のこれにまつわるあらゆる気持ちと同じように。名前なんかなくていいよ。いいんだよ。誰にもわからなくていい。
ただいま世界。
21:20