忘れてもいいよ今日のことは。

一週間前の話。iPhoneに「超ダメ元で頼みがある」とメッセージ。真っ先に「お金ならない、まったくない」と考えた自分を恥じる。ないことはもちろん、その発想自体を恥じる。


土曜日の午後、四歳の男の子を半日預かってもらえまいかという依頼だった。夕方からレッスンがある、が、通常レッスンでリハーサルじゃない。私に頼むくらいだからよほど困っているのだろう。三秒くらい迷っていたと思う。これまで何回会ったことあるだろうか。二人きりになったことゼロじゃない? 大丈夫? それでもあっという間に結論が出た。よろしい、お預かりいたしましょう。


約束の時間より少しはやく父親とあらわれたかれはまったく私をみなかった。「照れてるだけだから」「うむ」「まあなんとかしてくれ」「うむ」「ハッピーセット食べたがってるからそれで掴めると思う」「わかった」とりあえずうちに来たまえよ。子どもを子どもとして扱えるかどうかって才能だと思う。私にはできない。対人としてしか扱えない。いったいどうすれバインダー。


諦めて椅子に座り、持参したドラえもんのおもちゃで遊んでいるかれをみながら考える。何を話せばいいんだ。話さなくていいのかな? いやどうだろう。


ハッピーセットには何が付いてくるのかと訊いたら妖怪ウォッチの何かだというので、私の知っている唯一の妖怪の物真似を披露する。ダラケ刀である。「あのね、私すぐダラダラしちゃうんだけど、ダラケ刀のせいかな」笑った。よし。「違うと思うよー」え、そう? やっぱり? ていうかそれどういう意味?


お腹がすいたらハッピーセット食べようねと約束して、その前に動物園に行くことにする。私この前行ったばかり。完璧だ。


ちゃんと着いてきているかたまに振り返って確認しながらゆっくり歩く。距離のある二人。「パンダみたいな(マジで)」「…」「パンダみてもいい?」「…いいよー」ははは。私がそうしたいんです、だからお願いしてもいいですか、あなたはまったく気にしなくて良いんです、いやならやめましょう、してもしなくても首尾よくいっても不首尾でも大丈夫、何の問題もありません、すべて私の責任ですからあなたはなにも気にしなくていいんです、プライドが傷付くことなんかありえません、私がそんなことするわけないじゃないですか、楽しかったらお互いにハッピー、それでいいですか? いいですよね? 腹を立てないでいただけますよね? 対男性用の暗い話法を四歳児に展開してしまった。というか、話しながらそのことに気付いた。いやだいやだ、そんなに自分が大事かね。かれがパンダに乗り気なのかどうなのかさっぱりわからない。でもいいの、私がパンダをみたい気分なの。一緒にね。


結論から言うと、パンダはみた。すごく並んでいたので「やめようか?」と訊いたら「みたいって言ったでしょ」って。いい子だなと思った。「マクドナルドどこにあるの?」と訊かれて、それがかれにとって近いのか遠いのか判断できなかった。ダラケ刀はさっき使ってしまった。のび太しかあるまい。「もう歩けないよドラえもーん(捨て身)」どうだ、これが自分をより低い位置に置くことで相手の気分を少しでもよくすることを試みるという、対男性用の暗い話法第二弾だ、まいったか。「この世界にはドラえもんはいないんだよ」え、そうなの? いないの? 「お腹がすいてもう一歩も歩けないよー」「すぐそこだよ!」どうだまいったか。妖怪ウォッチのカード、同じものを引いてしまった。痛恨の極み。二種類あげたかった。帰り道は手を繋いで帰った。


不幸の再生産について考えていた。そんなことされないのかもしれない。わからない。私はたぶん間に合わないまま時間切れになる。仕方ない。パンダがみられてよかった。私は楽しかった。どうもありがとう。