立ち去れないものの美しくなさ。

こんな時間にはっきりと目が覚めているのは久しぶりのことで、ここ半月くらい帰宅するなり服を脱いで(あるいは脱がないで)倒れて寝る、そして明け方に目を覚ますということを繰り返した結果、金曜日には洗濯されたストッキングがひとつもなく、トレンカで出社する羽目になった。土曜日はストッキングを履く必要がない。私はストッキングを三足しか持っていない上に、ひとつはつま先を繕ってあるし、それはふつうにデパートでお洋服の一部として買ったものだけれどトレンカをどうしてもお稽古着としか思えない時期が長くあっていまはそうでもないかもしれない、でも何も思うところなく履いているかというとそういうわけでもなく、少なくとも仕事場に身に付けていくものではないと思っている。朝はやく起きて仕事に行く前にお衣装を直した。夜にできなくてほかにやりようがなくて。着る、直す、着る、直すの繰り返しが本番の前々日まで続いたこんなことはじめて。最後は電車の中で縫うしかないのではあるまいかと思った。あるいは勤め先か。


火曜日のお稽古中に突然首が回らなくなり右から振り返ることができなくなった。今日のお稽古でまた回るようになった。首が回らないってどういうことか。ええ、そういうことです。


エニグマ、スプリッツ両足ともできた。舞台の上だけの幻じゃなかった。今日お稽古前に空をみていてもう19時も過ぎたというのにまだ明るい。こんな空を写真に撮るのだろうか私は。撮らなかった。以前ほど写真が好きではないから。


時間切れ。もうどんなに短いあいだも意識を起こしておくことができない。立ち去るものだけが美しいと歌にあるように、そのことを書きたかったけれどたどり着けなかった。美しくないのは立ち去っていないからだ。何もかも自分のやりたいようにしたらどのようなことになるか。みてる。わからない。どんなことになるのか。でもだってどうせは言わない約束、どうせはない、どうせと思ったことがないから。でもこんなことでは、けれどこんなことでは、だってこんなことでは。私はもう眠りたい。眠りたい。眠らないでいたいこんな風には。でももう私はねむりたい。ねむりたい。ねむりたい。ねむ、り、た、い。
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