それでも時には合わせて欲しい。

以前別のところにも書きましたが、わたしの日記に時折にでも筋少の広告が表示されるの最高。


ヨガマットをひいて床寝するようになって一ヶ月。身体に痛いところがない。起きた瞬間はこわばっているけれど、首も腰も調子が良い。特に首、ぐるっと回して引っかかるところがどこにもない。これはすごいことです。常に痛かったので。腰はそれなり。痛いときは何か別の原因があるとき。
が、ドクターストップです。それはなぜか。長く眠ることができないから。あと、心が休まらない、ときがある。うまく回っているときは何も問題が無いのに、少しでもバランスの悪いところがあるとそこからすべてが崩れてしまう。無念です。
でもいずれにしても秋になったら冷えに関する対策をしなければならなかった。固いことと冷えることはまったく別の問題。ダンサーは身体を冷やしたらおしまいです。


毎日でも踊りたい。いまは木金をお休みにしていて、そうしないとちょっとした用事や通院などができなくなるし、お月謝も続かない。でも踊りたい。困ったことです。


新しい生活は概ねうまくいっている。うまくいき過ぎて退屈で気持ちが乱れるくらい。際限のないものですね。自由と空間は単なる入れ物に過ぎなくて、空っぽの自分を思い知らされる。空っぽであることは必ずしも悪いことではないはずなのに、自由であることの責任を取れない。負荷がかかっていれば安心だなんて思考停止の極致じゃないか。


あと数日は床で寝る。相手にわたしが合わせることを、文字通り、身をもって学びながら。床の床である有り様はいろんなことを教えてくれた。何しろまったく歩み寄るということがない。これはとてもすごいこと。床はわたしにおもねらない。このことを、秋になっても忘れないでいたい。
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